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「 部下とのコミュニケーションが円滑に 」 |
| 浜川 和義 男性(51才) 職業:セールスレップ(販売代理業) |
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私は16年前、当時アパレル会社で事業部長をしている時に、同僚の紹介でブレークスルーテクノロジーコースに参加をしました。私はいつも、部下達は私と同じ考えや価値観を持って仕事をするべきだ、と考えていました。そしてそれを彼らに要求していました。ですから衝突が多く、会社を辞める部下が後を絶ちませんでした。
コースの中で私は、人にはそれぞれの考えや価値観があって、それでOKなんだということを受け入れました。そして、自分がいかに傲慢な上司だったということを認めました。 そうしたら私の行動に違いが出てきました。部下に対して私の意見を言う前に、まず部下の考えを十分聞くようになりました。すると部下とのコミュニケーションが円滑になり、それ以来部下が一人も辞めなくなりました。私にとっては正に奇跡でした。 |
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「 聞く能力の拡大 」 |
大林 秀夫(仮名) 男性(53才)
職業:外資系生命保険営業、NPO法人理事 |
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私がブレークスルーテクノロジーコースを受けた中で見えたことは、「私はいかに他人の話を聞いていないか!」と言うことでした。 地元で生まれ育ち、小学校の「同窓会の幹事長」をやったり、「おやじの会の顧問」をやったりと地域に貢献していました。同窓会のフリーマーケットでは、PTAや同窓生に出店の依頼をしたり、各商店会をまわってポスターを貼り出してもらったりしていました。また、年二回発行する「同窓会だより」の原稿を集めて、校正して、印刷に回して、四百部くらいを発送しています。 ところがコースが終わってから、あるお父さんから「大林さん、自分達も何か手伝いますよ!」と言ってくれたのです。コースでもしかしたら自分は他人の話を聞いていないかもしれない、ということを発見していた私ですから、そのお父さんの言うことを聞こうとしてみました。そうしたら「準備段階から何でもやりますよ!」と言ってきたのです。 町の酒屋さんや米屋さんに床屋さんの二代目、三代目で、毎日配達や、店の仕事に明け暮れているお父さん達ですから、「手伝えるの?」と聞いたら、「もちろん、町会の寄付や、人集めはいつでも出来ますから!」なんて言われたのです。 「それは手伝ってもらえたら助かるよ!」と嬉しくなって返事をしたら「もう大林さん、前から何度も言ってるじゃないですか!ぜんぜん聞いてくれないんだもん!」と言われてしまいました。「え?ホント?俺ぜんぜん聞いてなかった?」って聞いたら、みんなが「ぜんぜん!!」と声を揃えて言うんです。「全部大林さんがやっちゃうから、手出しできないですよ。」と。
何でも「自分でなければ、自分が、自分じゃなきゃできないだろう!」という傲慢な私がいるのだと発見しました。それからの私は、同窓会では「フリーマーケットは・・・?」と言うと「出店者は全部手配済みです。」、「同窓会だよりは・・?」と言えば「原稿集まって、もう印刷に回ってます。」と言われるようになりました。
今では何でも人に任せて、他人の話を聞いている私を発見しています。それが私の成果です。 |
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「 人生がより楽で楽しくなりました 」 |
近藤 幸光 男性(54才)
職業:会社員(スーパーマーケットチェーン本部勤務) |
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ブレークスルーテクノロジーコースを受けて2年半後、右手を失う事故に遭いました。私はその事故の直後に、このことは不自由なことではあるけれど、決して不幸なことではないと思うことができました(コースの成果です)。手術後右手(利き手)を失ったことを嘆くこともなく、リハビリ前でも左手で箸を使うことができました(奇跡)。 2週間後、この病院は救急指定病院でベットが満杯状態だったので、数名を退院させる必要が生じました。その第一号にあまりにも元気な抜糸前の私が選ばれました(抜糸前退院は普通ありえない)。
事故前の私は器用で何でもできる人だったので、他人に頼ることなく、できない人達に文句を言う、不満だらけの人生でした。 腕を失ってからは、見舞いに来る人(当たり前だがなぜか皆暗い)を明るく帰し、退院まで看病するつもりだった母親はあまりの私の明るさにあきれてすぐに帰ってしまいました。 今では、人と一緒に仕事ができるようになり、人生がより楽で楽しくなりました。 |
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「 経営職へと仕事の責任を拡大しています 」 |
| 山本 克彦 男性(51才) 職業:電機製造業 経営職 |
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私が、このコースに参加して得ている成果は、もはや組織の歯車ではなく、自分の人生や仕事が、自分のものであるという実感のある人生を手に入れたことです。
企業で働くことは、ある程度、自分を抑えて働くことがあたりまえで、時には、完璧な歯車としての自分をあえて受け入れる必要がある、として仕事をしてきましたが、それがどれだけ自分の能力の発揮を阻害し、仕事の喜びをなくし、まさに、そのあり方が今の日本企業の停滞を生み出しているのだと実感しました。
私は、37歳という比較的若い時点で、管理職になり、仕事人間として、「まだまだ、十分じゃない」と思いを持って、自分を駆り立てるようにして朝から晩遅くまで仕事をしていました。そして、自分は他人よりは恵まれていて、そこそこ良い人生を生きていると思っていました。
しかし、コースに参加して発見したことは、サラリーマンとして、自分の落ち度がないように、また、落ち度があれば、それを庇いながら生きているという自分でした。(即ち、自分は十分ではない、として、それを見られないように、悟られないようにして生きている自分でした。)
コース参加後、職場に行って見ると、やるべき仕事が自分の目に飛び込んでくる、という風で、今まで、やってきた仕事の多くが、やらなくても良い無駄な仕事として表れてきました。そうすると朝8時から夜10時過ぎまで仕事していた毎日が、夜8時には帰れるようになり、しかも、同僚課長を差し置いて部長に昇格、更に経営職へと仕事の責任を拡大することが出来ているというのが成果です。 |
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